人生完全攻略ガイド

読めばこの世界をほんの少しだけ理解できた気持ちになるブログを目指しています。ライブドアブログから引っ越してきました

人生完全攻略ガイド第5回 目標と実行の壁~集中力を手に入れろ~

目標と実行


前回の記事
では、目標設定について説明しました。
しかし、目標を設定しても、それを完遂できるかどうかはまた別の問題です。


もちろん、良い目標設計をすれば計画と実行の間の壁は薄くなり、目標完遂へ近づくことはできます。
ですが『目標があなたを成功へと近づけるのではなく、実行こそが成功をもたらします』目標とは、あくまで実行するための準備に過ぎず、本当の意味で価値があるのは実行することです。


ですが、人は怠ける生き物です。いくら完璧な道が目の前にあっても、実際に歩く瞬間になると、気だるくなって、一歩も進めなくなることもあるでしょう。


今回の記事では、そういった事態を避けるために必要な心がけ、あるいは具体的なテクニックについて書いていきます。

マルチタスクをやめる


マルチタスクというのは、複数の作業を同時に進行することを指します。
この言葉は不思議なもので、良い意味でも悪い意味でも使われています。


マルチタスクをすれば、無駄な時間をなくして、いろいろな事ができる。


というのがポジティブな意見です。
実際の仕事は、確かにマルチタスク的に進むことが多いです。
常にメールを確認して、周囲にも気を配らなければならない。やるべき仕事以外にも、つねに気を配る必要があります。

ですが、わたしはそういう環境が苦手です。
普通に考えても、右手で論文を書き、左手で小説を書くことは不可能です。
右手で論文を書き、その後で右手で小説を書くべきです。


ですが、左手でスマホをいじって、右手で仕事をするということが出来ると思っている人間は何故か居るものです。実際は、スマホを見ている時間はスマホを見ていて、仕事をしている時間は仕事をしているだけです。
それどころか、『どちらの仕事をするべきなのか』という悩みが常に頭をちらついて、結果的にどちらの仕事も中途半端なことになることが多いので、個人的には『絶対にマルチタスクは避けたほうが良い』と、思っています。


では、マルチタスクを避けるたには具体的にどうすれば良いでしょう?



作業時間と作業内容を明確にすること


自分の場合、この短い時間での目標設定には『ポモドーロテクニック』を用いています。

このテクニックについて簡単に説明すると
『1つの作業を25分で区切り、それを1ポモドーロと呼ぶ』
『1つのポモロードには1つだけ目標を設定する』
『1ポモドーロが終わったら、5分の休憩を挟んで次の作業を始める』
『4回のポモドーロを終えたら、一度30分以上の長い休憩を挟む(自分の場合は30~60分ほどの休憩を取ることにしています)』
というものです。

簡単なテクニックではありますが、これを用いることで『常に1つだけの目標を持つ』事ができます。
これはとても重要で、何の作業をするかについて迷わずに住むので、目の前の作業に集中しやすくなります。
それに、十分な時間の休憩も確実に挟むことができるのも大きなメリットになります。


仕事をしている人間というのは、何故か、休憩時間を取ることに罪悪感を覚えるものです。
ですが、予定として予め休憩時間を決めておけば、罪悪感を感じずに十分に休憩が取れるので、結果的にリラックス出来ます。

ただ、フリーランスではない場合、仕事中に30分以上の休憩を自分のタイミングで取るのは難しいでしょうから、もう少し短い時間になるでしょうが、それでも休憩を取ることをおすすめします。

GigaZiNE_新たなスキルを習得するには「短い休憩」を取ることが役に立つ可能性がある

休憩の内容については、上記記事の内容が非常にためになります。
記事の内容を簡単にかいつまんで話すと、

1:どのようなタイプの休憩でも休憩しないより有益

2:仕事とは違う内容の休憩が効果的

3:生産的であるが簡単な作業も休憩に適している

4:時間がない時はたった1分でもいいから休む

5:午前中に休憩を取るべき

6:仕事に集中できている時は無理に休憩を取らなくてもいい

7:休日や休暇にはしっかりと休む

この7つの要点を守れ。という内容です。

インターネットを(可能な限り)遠ざける


インターネットの海には、無限にコンテンツがあります。
というか、インターネットは海というよりもブラックホールです。すべての人間を無限の引力で引き込みます。
あらゆる魅力的コンテンツが、無数に存在していて、その上、絶えず消費不能な速度で新しい情報が発信されています。


ですが、大抵は知る価値のない事実です


遠くの誰かが美味しいものを食べていたり、有名なアーティストが不倫をしていようが、あなたの人生にはなんの影響もありませんし、知ったところで何かができるわけではありません。



せいぜい、SNSで自分の気持ちを綴るのが関の山でしょう。
ですが、自分の気持ちを綴ることよりも、他にやるべきことがあるのでは無いでしょうか?
もちろんあなたがゴシップ記事専門のライターだったり、世間話が大切だと思うなら話は別ですが、そうではないなら、可能な限りインターネットを遠ざけるべきです。


人間は情報を知ることに対して、本能的に快楽を覚えるように出来ています。
多くの人間がSNS中毒になるように、インターネットも中毒になります。
中毒になりやすいという点では、酒やギャンブルと、大きな差はありません。ですが、インターネットは社会的に絶対に必要なものであるため、その中毒性を見過ごされているのです。


【若年層のSNS利用状況関連の調査まとめ】 テレビは見ないがネット動画は毎日見る。若年層のネット利用状況とは?


二年前の記事ですが、上記記事によれば、現在の子供の一日にスマホを触っている平均時間は3.1時間。女子高生に限れば、なんと6.1時間です!


6時間あれば映画が3本見られますし、フルマラソンを走り切ることだって可能です。
なのに、スマホを触って時間をつぶすというのは、あまりにももったいないことだと思いませんか?
しかも毎日です。あなたの場合はどうでしょう?


これは休憩だから、と自分に言い訳をして、気がつけば何時間もSNSに時間を吸われてしまって、自分の人生を、やるべきことを見失ってしまっていませんか?


ただ、インターネットというのはあまりにも日常に近づきすぎてしまいました。


このブログもまたインターネットコンテンツの一つですし、この記事を書いている現在もインターネットに接続しています。


オフライン環境でも書けないことはありませんが、記事を書く際の下調べなどはどうしてもインターネット環境が必要になります。ですが、インターネットというのは、油断するとすぐに道を逸れてしまうものです。


そこでおすすめしたいのが、block siteです。
ローム拡張機能のひとつなのですが、特定のサイトにアクセスできなくする機能です。
twitteryoutubeなど、用もないのに頻繁に訪れてしまうサイトなどを登録することで、強制的にそのサイトを検閲できなくなります。


これを使えば、インターネットに接続しながらも、時間を潰してしまうようなことを避けられるようになります。ぜひ、お試しください。


やる気が沸かない時は、気楽に、簡単な仕事から始める


仕事というのは、大抵の場合気乗りしないものです。
嫌だなぁ、と思って中々手がつけられないことが多いのですが、そういう時に重要なのが『作業興奮』です。

作業興奮とは、作業をしているうちに次第にやる気が湧いてくる。というものです。
何事も、始めるまでが一番辛いもので、実際に始めてみたら意外にサクサク進む……という経験がありませんか?

ただ、いきなり大変な仕事をしようとすると不安が大きくなって、仕事を始めるのが嫌になるので、『メールを返信する』とか、『とりあえず今からやることのリストを書いてみる』『身の回りの掃除をする』などの仕事から始めるのがおすすめです。

ちなみに、自分の場合は一日の仕事を始める前に、15~30分ほど本を読む習慣があります。
良い文章を読むと、自分もこんな文章を書きたいという気持ちが湧いてきて、仕事に対するやる気が湧いてくるからです。

ただ、気乗りしているときは思い切り大変な仕事をしましょう。


やる気というのはとても貴重なもので、いつもあるものではありません。
気力がみなぎっているのであれば、その時間を簡単な仕事のために消費するのはもったいないので、いきなり一番困難で後回しにしたい仕事から始めましょう。


どうしてもやる気が沸かない時は


ここまで書いた内容にしたがって作業をしても、どうしてもやる気が沸かず、作業がはかどらない場合もあるとおもいます。
そういう状況を、自分は『ドツボにはまった』と考えるのですが、自分の経験では、ドツボにはまる状況には、いくつかのパターンがあり、対策可能だと考えています。


原因1 休憩不足
人間というのは、やる気を持ってなにかに取り組もうとすると、休憩時間といものを甘く考えてしまいます。自分も、自分の裁量で仕事をするようになってからは、ほとんど毎日、限界まで仕事をしていました。

ですが、そのうちだんだん仕事に手がつかなくなってきたのです。朝からすでにやる気が沸かず、仕事と向かい合っても、全然手が進みません。

その時に自分は、会社で仕事をしていたときよりもずっと休憩をしていないという事実に気づきました。好きな仕事をしている。という負い目からか、自分を自分で追い込んでしまっていたのですが、それは明らかに間違いでした。

そして、わたしは週に2日は仕事をしない日を作りました。

つまり普通の会社員と同じように、週休二日制にしたのです。まるで車輪の再発明ですが、それは正解でした。まったく手が進まなくなっていた仕事は、それをきっかけに勢いを取り戻して、無事に作業が進むようになったのです。
世間に存在している既存のルールというのは、何かしらの意味があって存在している。という事実を、その時にはっきり感じたのを覚えています。

ちなみに、わたしは最初、世間と同じように土日を休日に当てていたのですが、自分なりに考えた結果、2日連続で休みが続くよりも、木曜日と日曜日の2日を休日にしたほうが平均的に疲れが貯まりづらいということに気づきました。

つまり、土日を休日にすると、月曜日は疲労度が溜まっていないために極端に元気となり、金曜日は疲労が貯まって、疲れ切ってしまって作業が進まないのです。
ですが、木曜日と日曜日に休日を分散することによって、疲労度も分散し、常に一定の作業量をこなせるようになりました。


原因2 刺激不足
目標に向かってまっすぐ進むために、自分の知るべきことだけ調べていると、どこか虚しくなる時があります。もしもこの道が間違っていた時、自分はなんの役にも立たない、時代遅れの産物になってしまう。そんな気持ちが募るものです。

なので、時には何か世間の流行に乗って新しいものに触れたり、あるいは、自分とはまったく違う業種の人間の努力などを知ると、強い刺激を受ける事ができて、仕事に対する情熱を取り戻すことができます。

自分が刺激を受けたいと感じたときは『ドキュメンタリー番組』や『映画』『ストーリー性のあるゲーム』などを利用することが多いです。
ちなみに『家、ついて行ってイイですか?』が個人的におすすめです。


原因3 目標が自分に合っていない
前回の記事で散々書きましたが、目標はとても大切です。
間違った目標を立ててしまうと、やる気も湧きません。
ただし、あまり自分の目標を疑いすぎてしまうのも良くないので、この原因について考えるのは、上の2つと比較して優先度は低いです。

人生完全攻略ガイド第4回 目標の立て方

目標とはなにか?


目標とは、自分が目指す方向の指針となるものです。
もちろん目標設定を行わずとも、どこかへ行くことはできるでしょう。
ですが、地図やカーナビを使わないで旅行へいく人間は少ないはずです。


そして情熱についての記事で触れましたが、情熱を育むためには目標の設定と継続が必須になります。
つまり、何かを成し遂げたいと思うのであれば、目標を上手く立てることが大切です。


ただ、目標の設定というのはそれほど簡単ではありません。
目標設定のやり方を間違えれば、その後の努力の効率が著しく下がったり、無意味となったりします。
にもかかわらず、義務教育では目標設定について詳しく教わることはあまり多くありません。


なぜなら、学校では基本的にすべて目標を用意してしまうからです。
宿題、テスト範囲等々、全て教員の言葉に従えば良いのですから、自分で目標設定する必要はありません。


しかし、目標とは本来『自発的なもの』です。
自分のやりたいこと、実現したいことを考えて決めて、それに向かって進む道筋を白紙に書き込む行為のはずです。
そして複雑化する現代化社会においては、自らの道筋を定めるという行為は、今後ますます重要なものになっていくと思われます。


どうやって目標を立てるのか?


身の丈にあった目標設定をしなければ途中で投げ出してしまいます。
かといって、簡単すぎる目標では成長は見込めません。
曖昧な目標は、自身の解釈次第でいくらでも簡単にも困難にもなってしまいます。

そこで重要だと思うことは2つあります。

一つが『目標は大きいものから順番に決めること』です。
大学受験に例えて言ってみると、


『大学に合格すること』が受験における最終目標です。
なので、まずはそこを決めることから始めます。

志望する大学に合格すること

全国模試で合格判定Aを取得すること

そのために、毎日5時間の自主勉強をすること


このような具合に、大きな目標から、徐々に具体的に、実際の作業内容に落とし込んでいくことが目標設定に必要なことです。



そしてもう一つが『SMARTの法則』を守ることです。


SMARTの法則について簡単に言うと、

  • Specific        具体的な目標か?
  • Measurable    測定可能な目標か?
  • Achievable  現実的に達成可能か?
  • Related        欲しい成果に基づいた目標なのか?
  • Time-bound      目標に期限はあるのか?

この5つを満たす目標こそが、良い目標である。というものです。

詳しいことは、調べていただければより詳細に記載されているサイトがいくらでもあるのですが、順を追って解説していきます。


具体的な目標か?

あなたがなにかしらの資格を取得したいと思ったとします。


そうなった時、まず最も大きな目標である『資格の取得すること』を目標としますよね?
それはかなり具体的で、良い目標だと思います。


取得を目標にするのは当たり前だ! と、思った人も多いでしょうが、実はこの時点でつまずく人も結構いるんです。
それは『資格を取りたいと思うけど、取れなくても良いや』くらいの目標で始める人もたくさん居るからです。


その時点で目標は『具体的』ではなくなります。
最終目標が曖昧になると、その過程の目標設定も曖昧になっていきます。


それはきっと『頑張っても資格を取れるかどうかわからない』と、不安だから予防線を張ってしまっているんだと思います。


実際に資格を取得できるかは、やってみなければわかりません。
具体的な目標を立てたとしても、それを達成できるかは本当のところ、誰にもわからないんです。


大学に入りたいなら「大学に合格する」
資格を取りたいなら「資格を取る」
と、このようにわかりやすく具体的な目標を立てることをおすすめします。


測定可能な目標か?


英語について勉強をする。という作業目標を立てた場合、これは測定不能です。
ですが、英単語を10個暗記する。ならば測定可能です。
あるいは毎日1時間英語を勉強する。というのも測定可能です。
テストで〇〇点を取る。というのもやはり測定可能な数値です。
つまり具体的な数値などを目標設定に織り込むことを指しています。


達成可能な目標か?



この項目について、自分の場合は『自分と同じ年の、ごく平凡な人間でも達成可能な目標だろうか?』と、自問することで判断しています。
もしも自分と同じ年の平凡な人間でも達成可能だと思うのなら、それは自分にも達成可能であり、無理であるのなら、自分にも達成は不可能だろうと考えます。


もちろん、自分が人よりも優秀な人間だと思うなら、比較対象を変えても構いません。
この点で重要なのは、『自分と同じくらいの実力の人間を具体的に思い浮かべてみて、その人間で脳内シミュレーションをしてみる』ことです。


やはり、自分自身のこととなると、人間は客観的に物事を考えられませんから。自分とよく似た人間で考えてみることが大切というわけです。



欲しい成果に基づいた目標なのか?


例えばあなたが一流大学の合格を目指しているとします。
ですが、その課題は両親や教師によって勝手に決められたことで、本当はあなたは、大学などに進まないで、芸術家への道を進みたいと考えていたのなら、それは欲しい成果に基づいた目標ではなくなります。


一見すると簡単なことのようですが、この問題について判断するのは、とても難しいことだと思っています。
(もしかすると、そう思っているのは私だけかもしれませんが)


なぜ難しいのか? 
自分自身の本当の欲求というのを、人間はえてして取り違えてしまうからです。これは自己欺瞞という厄介な性質のせいです。

例えば、あなたが漫画家になりたい。という夢を持っているとします。
どうして漫画家になりたいのか? と考えてみると、まず『多くの人達を楽しませたい』という答えが脳裏に浮かんだとします。

ですがその答えが出た本当の理由は『勉強がしたくないから、他の夢を持ちたかっただけ』だったり、『サラリーマンとして生きるのが考えられなかったから』なのかもしれません。
それらの深層に眠っている本当の気持ちを、自分自身で偽って、表層的で聞き心地の良い『多くの人達を楽しませたい』という答えに飛びついたのかもしれません。


人間の心は複雑です。
何が本当で、何が嘘なのか、自分自身でも判断するのは難しいことだと思います。
人間は嘘を見抜くのがさほど得意でもないと言われていて、多くの嘘に気づきません。自己欺瞞についても、おそらくはそうでしょう


考えれば考えるほど、むしろドツボにハマって、自分の考えがわからなくなってしまったりするものです。


なのでこれは個人的な解決法ですが、一度それが自分の本心だと思ったら、自己欺瞞だとしても構わない。と、思い切りよく判断するのが大切だと考えています。
『芸術家になりたいかもしれない』と、そう思っているのなら、『芸術家になりたい』を本心にしてしまうのも悪くありません。実際のところ、芸術家になるべきなのか、大学に進学するべきなのか、どちらが正解なのかは神のみぞ知ることであって、あなたには知り得ないことです。
しかし、だからといって自分の本心を曖昧なままにしておくと、そこから導き出される目標も曖昧なものになってしまいまって具体性が失われますし、どんな目標を打ち立てたとしても、いまいち納得出来ないままです。
『大学に行きたい』と思ったなら、とりあえずそれを自分の本心とすべきですし、『いや、わたしは芸術家になりたい』と思ったなら、それを本心とすべきだと思います。


そしてその本心に従って、最高の計画を立てましょう。
一度本心を決めたなら、それを疑わず、努力しましょう。

そして目標に従ってやってみたものの、どうしても駄目だったり、本当にやるべきことが他に見つかったのなら、その時また別の目標を立てれば良いと思います。

目標に期限はあるのか?


人間というのは、常に悩む生き物です。
今日どんな服を着るのか? 夕食は何にしよう? などなど。


もちろん、悩むのが無駄だとは言いません。
ですが、悩んでいる時間というのはつまり、何もしてない時間でもあります。


それだけでなく、成功者の多くが毎日同じ服を着ているように、決断というのは人を疲弊させます。ですが、目標を立てることによって小さな決断をせずに済ませること出来るので、結果的に集中してやるべきことに取り組めます。


ですが、目標に期限がなければ『本当にいまやるべきことなのか?』という疑問が湧いて、後回しになってしまうかもしれませんし、作業に集中できなくなるかもしれません

大きな目標も、小さな目標も、基本的に期限を設定したほうが有意義です。
細かな時間を決めるのは面倒かもしれませんが、期限設定をしないと後でもっと面倒なことになります。


最後に:目標を達成すべきか、諦めるべきか

目標を立てても、三日坊主に終わることは多々あります。
その理由は常々違うでしょうが、目標があまりに困難だったり、他にやるべきことあったり、熱意が消えてしまったり……ともかく、何かしらのタイミングで、目標を諦めたくなる時があると思います。


もちろん、状況によってそれは違うと思いますが、わたしの個人的見解では、諦める理由が無い限り、諦めない方が良いと思っています。


目標を諦めることに至る理由は大体以下のようなことだと思います。
・思いつく限りの努力をしても達成できないことを悟った
・他にもっと価値のある目標、あるいはやらなくてはいけないことを見つけた
・当初の目標までは到達出来なかったが、自分で十分に満足するところまで達成した




確かに、上のような理由があるなら目標を諦めてもいいでしょう。しかし、ちょっと気乗りしないとか、上手く行かないことが続いている、程度のことで目標を放棄するのは絶対に後悔します
これはわたしの経験から言っても間違いありません。一度やると決めたなら、とことんやり込んだ方が、たとえ失敗したにせよ、後悔は残らず、経験だけが残ります。


そして『ちょっと気乗りしない』とか『上手く行かないことが続いている』などの小さな足止めを作ってしまわないためにも、今回の記事で記載したように、具体性を持った良い目標を立てましょう。

人生完全攻略ガイド第3回 情熱を持つ? 探す?

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人生を攻略する上で、もっとも重要なものは何か。
そう考えた時、わたしは情熱が最も重要なものだと考えます。
こういうことを書くと、少し自己啓発的な内容になってしまいますが、人生を成功させる上で、情熱は他のすべてに勝るほど重要だと考えています。



情熱というのは、何に対するものであれ、自分の背中を押してくれる大切なエネルギー源となります。


逆に言えば、情熱なしに成功するのは難しいことだと思います。
情熱がなければ、人生に一貫性を持つことができなくなり、散漫とした、自分らしさの無い人生を進むことになるでしょう。


もちろん、情熱なしに何かをすることはできます。
ですが情熱を持って同じことに取り組むことができれば、何倍もの成果を出すでしょう。


そして情熱があれば、不可能だと思われていた高みにたどり着くことも可能かもしれません。




情熱の無い人へ、あるいは、情熱を注げる先を探している人へ

『情熱が人生に重要だということは理解できているが、情熱を注げるものが何一つ無い』
という人はたくさん居ると思います。
何か特定のものに夢中になろうとしても、本当に情熱を持っている人には決して勝てないと、諦めてしまっている人も多いでしょう。


そんな人達に送るアドバイスとして最高だと思うのは、以下の記事です。


「情熱を探そう」というアドバイスはもうやめよう



上記の記事は、情熱を持てる人にとって最高のアドバイスだと思います。
できれば一読していただきたいのですが、概要をかいつまんで説明すると

情熱を手にするには2つの種類があり、『情熱を探すこと』と『情熱を育むこと』だ。
というものです。
そして、その2つの情熱のタイプには最終的にあまり大きな差は無いから、情熱を育むという選択も良いものだよ。という記事です。


大抵の人にとって、情熱とは探すものという印象が強いでしょう。
何かに挑戦してみて、とても楽しい経験をする。あるいは、感動的な経験をする。
(これを原体験と言います)
そして原体験を理由にして強い情熱を持っている人がほとんどだと勘違いしているのでは無いでしょうか?

たとえば、絵を描くのが好きな人が居て、「どうしてこの人は絵を描くのが好きなんでしょうか?」と、聞かれたら、きっと『絵の才能があった』とか、『目指している画家が居る』などの予測をするでしょう。


これはつまり、情熱は最初からそこに存在していて、彼は偶然それを見つけんだ。という考えです。
情熱に対して運命的な出会いを果たし、彼はそれに従ったというわけです。


ですが、もしかするとその人は『情熱を育んだ』のかもしれません。
つまり原体験無しで、『絵を書き続けた結果、絵を描くのが好きになった』というパターンです。


これなら今まで何にも情熱を持てなかった人間だとしても、最終的には情熱を持てるようになるはずです。ですから、もしも今、何にも情熱を持てていない人が居るのなら、情熱を育むことを目指した方が良いと思います。


具体的に、情熱を育むには?~受験勉強に学ぶ~

確かに、情熱を育むということが可能なのであれば、理論上、あらゆる人が、あらゆることに対して情熱を持って取り組むことが可能なはずです。

が、現実はそうではありません。毎日同じ仕事をしている人が、その仕事に情熱を持っているかどうかは別問題です。何事に対してもやる気の感じられない人は存在します。

それはなぜでしょうか?

わたしが思うに、理由は2つです。
1つは『具体的目標がない』ということ。
そしてもう一つは『続けていない』ことだと思っています。

わたしがそう思った理由が、受験勉強にあります。


世の中の多くの人間が、大学受験に向けて勉強をします。
大学合格者の平均勉強時間は平日3時間、休日5時間ほどと言われています。
これは結構な努力量で、それなりに情熱がなければ取り組めないことだと思いますが、現在の大学進学率は58%。つまり、6割の人間が受験勉強に情熱を持っているということです。(努力なしで進学できるレベルの大学を選んでいる人も居るでしょうから、これは少し過大な数値かもしれませんが)
にもかかわらず勉強が好き、あるいは勉強をするということに対して天命を感じた。という人間はあまり多くないでしょう。


それはつまり、学校では勉強をするということに対して情熱を育んでいるのです


逆に、大学合格したあとに燃え尽き症候群のような状態に陥るのは、受験勉強という情熱を失ってしまったからではないか? と、考えています。


それならなぜ、受験勉強については多くの人が情熱を持って取り組めるのか?
それは『強制的に情熱を持たされているから』だと思っています。


どんな高校であれ、基本的には一年生の頃から進路を考えて行かなければなりません。
特に将来について展望の無い人間は、ここで具体的目標を持つことになります


どこの大学に行くのかを決めたなら、その目的に向かって勉強しなければいけないわけですが、学校に通っている限り、強制的に毎日勉強をさせられます


最初のうちはそれほど気乗りはしないかもしれませんが、大学合格のために必要なことですし、周囲の人間との競争もあります。結果的に、多くの人間が見事に乗せられて、勉強に励むことになります。

つまりは、あなたが情熱を持ちたいなら学校でそうさせられたように、
目標を持ち、根気強く続けることが大切だと思います。
ごく単純な話ですが、これはとても大切なことです。

もちろん、努力する分野によっては、努力しても追いつけなかったり、無駄だったりすることもあるでしょう。


けれど、だとしても努力するべきだと思います。
才能だと言っている人間の多くは、大抵努力不足です。
有名な1万時間の法則でも言われるように、やはり努力した時間が様々な不可能を可能へと変えてくれるものです。

ただ、ここまで努力ということ手放しに称賛すると、
『努力はその内容によっては裏切るし、単純に頑張るだけではいけない』
と、そう思うかもしれません。

ですが、その考えこそ最も危険な考えだと思います。

なぜなら、人は努力しているうちにこそ、努力の手法を改善できるようになるからです。


やらずに伸びるということはありえない話です。『馬鹿の考え、休むに似たり』と言いますが、どんな分野であれ、人は最初のうちは『馬鹿』です。努力してはじめて、その分野についての見識がついて、どうやって努力をすれば良いのかを見つけていくものです。

もしも情熱を持ちたいと願うなら、目標を持って、努力を続けましょう。

(ただ、努力の継続と目標設定というのは案外難しいので、いずれ別の記事でそのことについて書きたいと思います)





情熱は万能薬ではない

ここまで手放しで情熱について称賛してきましたが、デメリットが無いというわけではありません。
情熱があれば空を飛べるかと言うと、そんなことはありません。
100メートルを9秒台で走れるかといえば、おそらく無理でしょう。

しかし、情熱がある人間は無理だと分かっていても努力をやめないでしょう。



情熱とは、ある意味恋愛などと似ていて、人生における視野狭窄状態でもあります。


情熱によってなにかに固執してしまうことは、成功への近道にはなりますが、それは『時間というリソースを一点に集中させてしまうこと』です。


確かに、情熱とはその分野についての成功する可能性を著しく高めてくれるでしょうが、なにか一つに集中するということは、それ以外のことに対しておろそかになるということです。


柔軟な視点が失われ、そして情熱を理由にして不幸になる人も居るでしょう。
仕事のために家庭をおろそかにしたり、勉強のために周囲を顧みなかったり。


もちろん、それでも情熱によって獲得出来るものと比較すれば、それは些事だと思えるのなら、それでも良いかもしれませんが、何にも情熱を持たず、普通の生活を送ることも、決して間違っていないとも思います。


ただし(相反するようですが)私の持論としてはなにかに情熱を持ったほうが情熱の無い状態よりずっと幸せだと思います。
何か一つに情熱を捧げたという経験は、その後他のなにか別の分野でも活かすことが出来ます。
一つのことを頑張ったということはつまり、他のなにかでも同じように頑張れるという証明、あるいは自信になるからです。


だから、どんな分野でも構いません。
ほんの少しだけ気になっていること、やりたいことなどがあれば、情熱を持てるように徹底的に取り組んで見るのも悪くないでしょう。


人生完全攻略ガイド第1回 なんのために生きるのか

『なんのために生きるのか?』とは、いきなり壮大なテーマです。
正直言うと、たかがブログの一つの記事で、このテーマを上手く処理出来るかは自信がありませんし、ライフハックというテーマからは少し外れてしまっているような気もします。

が、人生というものを考えるにあたって、まず生きるというのは最初の前提、すべての基礎部分となる考えですので、第一回記事にはこれほどふさわしいものもない。と、そう思って書き始めました。




宗教や哲学において、死生観というのは最大のテーマの一つであり、時代、人物、宗教によってその解釈は大きく異なっていますが、宗教や哲学がさほど盛んではない現代日本においては、『なんのために生きるのか』というのは語られることすら滅多にないテーマで、共通認識のようなものはもはや存在していないと思います。

つまり、なぜ生きるのか?という理由は『人によって違う』のが多様性のある現代における事実でしょう。

以上、今回の記事はこれで終了です。







……これで話を終わりにしても良いのですが、それではあまりに得るものが無いですし、もう少し掘り下げて考えてみましょう。



まず、『人によって違う』なら、自分にとってはどうだろう? と、考えてみました。

私自身の考えを述べるなら、『人が生きるのは、生きるのが人生の前提条件となるから』と考えています。

少し分かりづらいでしょうか?

言い換えてみれば、『死ぬことに理由はあっても、生きることには理由はない』ということです。
生きるのは当たり前のことで、そこに何一つ理由は存在しない。と、考えています。



では、長い歴史の間、人間はどのように考えてきたのでしょうか?

宗教では、多くの場合、『良いことをすると死後に良いことがある』という教えが含まれています。
キリスト教ユダヤ教ゾロアスター教なら天国と地獄、仏教なら輪廻転生など、様々な死生観がありますが、どれも善行を行うことによって死後の待遇がよくなるというものは似ています。

特に、日本に強い影響力を持つ仏教において、人生は『苦(ドゥッカ)』と呼ばれ、人生とはそもそも楽しいものではなく、魂を磨くための修業の場として捉えられていました。
随分ネガティブな考えですね。



では、もう少し論理的な意見――哲学者は人生をどう捉えていたでしょう?

もっとも高名な哲学者の一人、フリードリヒ・ニーチェは『永劫回帰』という概念を考え出しました。それは仏教の輪廻転生に似ていますが、少し違います。
永劫回帰とはつまり、この『世界は永遠に続くはず』という前提に基づいた考え方です。
この世界が永遠に続くのであれば、現在の宇宙が何かしらの原因で消滅したとしても、また新しい宇宙が生まれ、同じような人生を無限に繰り返すはずだ……というような考え方です。

だとすると、人生は無限に続く繰り返しの中のほんの一瞬に過ぎず、なんの価値もない……それを承知することによって、既存の価値観に縛られず、真の意味で自由を得て生きるのが超越した人、すなわち『超人』であり、すべての人間が目指すべき理想的なあり方だと提唱しています。

ポジティブなような、ネガティブなような、なんとも言えない考え方ですが、宗教的な死生観と比較すると、現実的な考え方に感じられますね。



では、現代の人達はどう考えているでしょうか?

生きてるだけで丸儲け』 
明石家さんま

人がこの世に生きていく限り、やはり何かの理想を持ちたい。希望を持ちたい。それも出来るだけ大きく、出来るだけ高く
松下幸之助

この世は素晴らしい。戦う価値がある
アーネスト・ヘミングウェイ


著名人の死生観を感じられる言葉を少し列挙してみましたが、どうでしょう?
これらは多様な意見のほんの一欠片だけですが、人生をポジティブに考えている人が多いと感じられます。(もっとも、ヘミングウェイは自殺という悲しい最後を遂げましたが……)

つまり、現代人の多くは人生をかつてないほどポジティブな方向に考えていると思います。

それは現代社会が恵まれていることの証明でもあると思っています。
物質的にも、精神的にも、現代社会は過去のどんな時代と比較しても恵まれています。
好きなものを食べられて、好きな場所に行ける。思ったことを口にすることができる。

もちろん、まだまだこの世界には解消されていない不満点は多く存在していると思いますが、宗教や哲学というった『精神的支柱』無しに多くの人が生きているという事実は、とても幸福なことだと思っています。


そしてあなたの場合はどうでしょう? なんのために生きているのか?

自分の人生を『攻略』する上で、その最も基本的な部分についてじっくり考えてみるのも悪くないでしょう。そうすれば、何か新しい可能性や希望が見えてくるかもしれません。



それにしても、やはりテーマが壮大すぎたせいで、曖昧な終わり方になってしまいました。
次回からはもう少し地に足のついた、現実的なテーマを取り扱っていきたいと思いますので、どうぞご容赦ください。




本記事を作成するに当たって参照させて頂いたサイト様
名言+Quotes

フリードリヒ・ニーチェーウィキペディア(Wikipedia)

仏教ーウィキペディア(Wikipedia)


人生完全攻略ガイド第2回 人生攻略のチートアイテム1:カフェイン

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カフェインを知らない人はあまり多くないと思います。

コーヒーはもちろん、コンビニに並んでいる清涼飲料水の多くにカフェインが含まれ、カフェインを多く含むことを売りにしているエナジードリンクはかつてないほど多くの種類が売られています。
日本で昔から飲まれてきた緑茶、そしてそれと同じチャノキを原料とする紅茶にも当然含まれていますが、他にも頭痛薬や酔い止めなど、薬にもカフェインが含まれています。


これだけ多くのものにカフェインが含まれているのには、もちろん理由があります。
カフェインの効能は

・覚醒作用
・鎮痛作用
疲労回復



の3つがあります。薬品の場合はカフェインの鎮痛作用を利用しますが、
通常時のカフェインの摂取に期待されているのは覚醒作用と疲労回復の2つでしょう。
つまりカフェインは眠気を吹き飛ばし疲れを感じさせなくします。まるで覚醒剤みたいですね。



計算能力に対するカフェインの作用 二重盲検法による学生実習での検討


上記論文では、カフェイン入りコーヒーと、カフェイン抜きコーヒーを被験者にどちらがカフェイン入りかどうかを告げずに飲ませた上で、クレベリン検査(単純な足し算をひたすら行う検査)をさせる実験をさせています。

すると、カフェイン入りのコーヒーを飲んだ被験者は作業効率が有意に上昇していることが実証されました。
(そして誤謬率(誤答率)については有意な差は見られないことも証明されています)

その効能によってカフェインは『人生攻略におけるチートアイテム』の一つだと断言できます。


カフェインの使用


カフェイン摂取の一番おすすめのタイミングは朝です。
目醒めてすぐにカフェインを取ることで、二度寝のリスクが減って、寝ぼけている頭を目覚めさせることができます。

寝起きの時間帯は、当然疲労が溜まっていないので、勉強・仕事をするのには最適であり、この時間を有効活用することができるようになるのは非常に価値があることだと思っています。


反対に、徹夜でなにかの作業に取り組む際にも、その日の疲労を忘れさせてくれるカフェイン摂取は向いていると言えるでしょう。(が、この使用法は後述するカフェインのデメリットの面からおすすめはしません)



自分自身の経験としても、カフェインは作業効率を上昇させる効果がある。と、断言することができます。
カフェインを摂取すると、思考がクリアになって、体の内側から活力のようなものが溢れてくるように感じます。


当然、今この文章を書いているこの瞬間も体はカフェイン漬けですし、ほとんど毎日カフェイン入りの飲料を飲んでいます。カフェインを取らないと頭がぼーっとして、一日中眠いです。


これを言うとまるでカフェイン依存症のようですが……実際、そのとおりだと思います。
カフェインを取らない日はほとんどありません。休日はコーヒーではなくて紅茶など、少し弱めのカフェイン飲料を飲むようにはしていますが、それでもまったく摂取しない日は無いと言っていいと思います。



カフェインのデメリット
どんな薬にも副作用があります。
そしてカフェインはあまりに身近な存在で、忘れがちですがカフェインは立派な薬物です。


当然、カフェインにもデメリットがあります。
それは急性的な中毒症状と、離脱症状の2つです。
特に注意すべきなのが、過剰摂取による急性症状で、命を落とす人間も居ます。

国内初、カフェイン中毒死 エナジードリンク日常的に大量摂取か 


上記の記事にある通り、カフェインの摂取量には致死量があります。

そして立派な薬品にも関わらず、薬剤師の許可は必要ありません。

カフェインの耐性は人によって違うので、致死量も人によって違いますが5000mg~10000mgが致死量と言われています。
そして下の表を見ると、最もカフェイン含有量の多いコーヒーで60mg/100mLとあります。
つまり、500mlペットボトル一本でがフェイン300mgが含まれています。
5000mg摂取するためには少なくともペットボトル18本を飲まなくてはいけません。
コーヒー・・・・・・・・・60mg/100mL(コーヒー豆10g、熱湯150mLで抽出)
インスタントコーヒー・・・57mg/100mL (インスタントコーヒー2g、熱湯140mL)
紅茶・・・・・・・・・・・30mg/100mL(茶5g、熱湯360mL、1.5~4分)
せん茶・・・・・・・・・・20mg/100mL (茶10g、90℃430mL、1分)
出典:ココカラクラブ

「それなら安心だ」と、思ったでしょうか?
ですが、実際はペットボトル18本も飲まなくてもカフェインは非常に危険です。


一般的な成人では、1時間以内に 6.5 mg/kg 以上のカフェインを摂取した場合は約半数が、3時間以内に 17 mg/kg 以上のカフェインを摂取した場合はすべての場合に急性症状を発症する。『出典:ウィキペディア』

カフェインの急性症状というのは、動悸、不安、吐き気、手足の震えなどがあり、最悪の場合心肺停止を引き起こします。
閾値である6.5mg/kgというのは、体重60キロと仮定した場合、390mg。つまり、耐性の低い人はペットボトルコーヒーを一本と少し飲んだだけで急性中毒になる可能性があります。

これで少しは危険性が分かってきたでしょうか?


そして、実は筆者自身も、急性中毒の経験があります。

それは大学に入学したばかりの頃のことでした。
朝起きて、今すぐ大学に行かなければいけないのに、頭が重くてやる気がでません。
そんな時、冷蔵庫に入った紙パックのブラックコーヒーの存在を思い出しました。

「コーヒーで目を覚まそうかな」

そう思って、コップ一杯(およそ200ml)分のコーヒーをまるごと二杯飲んでしまいました。
この頃の自分はほとんどコーヒーを飲まないので、どれくらいの量が適量なのかをまったく知りませんでした。
当然、効果はすぐに効き始めて眠気は吹き飛び、すぐに支度をして大学へと向かいました。

……ですが、電車に乗って大学の最寄り駅へ到着した時、最初の異変が起きます。

それは鼻血でした。
なんの前兆もなく、突然どくどくと溢れ出す鼻血に、わたしは自分で驚きました。
普段よりもかなり出血量が多く、拭いても拭いても中々止まらなかったことを覚えています。
駅のエレベーターを下りながら、急いでティッシュで止血して、丁寧に血を拭いてから大学へと向かいました。

その日はオリエンテーションでしたが、教室に入ったころになって、凄まじい不安感を覚えました。

(さっきの鼻血、もしかしたら脳内出血の前兆かも)と、奇妙な妄想が始まったのです。

これは、大きなホクロを見つけて『もしかしたらガン』かも? と、不安になったりするようなもの=心気症の一種だったと思います。
しかし、その妄想は普段よりもずっと恐ろしく、考えているうちに絶望感で押しつぶされそうになりました。しかも、実際に体調はどんどん悪化していきました。
心臓の鼓動は早まり、視界はぼやけ、周囲にいる友人たちの会話はまったく頭に入ってきません。

そしてオリエンテーションが始まってしばらくして、自分は耐えきれなくなって教室から出ました。
このときには過呼吸が始まって、本当に死んでしまうと本気で思い込んでいました。

偶然、大学職員の方を見かけて、わたしはなんとか自分の身に起きている症状を伝えると、すぐに保健室に連れ込まれました。

そしばらく保健室で安静にしていると症状は収まりましたし、命に別状はなかったのですが、あの経験は、自分の人生の中で最も恐ろしい経験でした
しかも、医者に罹っても身体的には問題ないと言われるばかりで、しばらくの間はその時の症状の原因がカフェインだと気づけず、不安発作のようなものが定期的に襲われるようになってしまいました。






それでもカフェインはやめられない

筆者はカフェイン耐性がかなり低いせいで、上記の経験のような目にあってしまいました。
そしてカフェインに対してかなり悪い印象を持っている部類の人間だと思います。が、それでもなお、カフェイン摂取をやめようとは思いません。

なぜなら、カフェインが身体に与える好影響は間違いなく存在しているからです。

ですが、だからこそ皆さんにはカフェイン摂取量についてよく考えて欲しい。と、思っています。
たとえ急性中毒症状がでないとしても、【不眠症】などの症状が気づかぬうちにカフェインによって発生していることがあります。
(カフェインの半減期はおよそ5時間、そして、摂取後の効能時間は4時間ほどと言われています。そのため、就寝の4時間前には少なくともカフェインを摂取するべきではないでしょう)

よって、
カフェインは薬であり、摂取量について常に意識する
ことが重要です。

カフェイン耐性の強さは人によって違いますから、はっきりとしたことは言えませんが、筆者の場合は
朝はカフェオレを一杯、昼以降は紅茶か緑茶など、少し弱めのカフェイン飲料を飲む。
夕方以降はカフェインを可能な限り取らないというルールを決めています。


みなさんも、カフェインのメリットを享受するためにも、カフェインの利用は節度を持ちましょう。

人生完全攻略ガイド第0回 このブログについて

この人生完全攻略ガイドは、ゲームの攻略本を現実生活に当てはめたような物を書けたらいいな。というほんの気まぐれの構想から始めたブログです。


現代の人々は信仰、職業選択、趣味嗜好、発言の自由を手に入れました。

特に大きいのは『発言の自由』です。SNS・インターネットの発達によって、ありとあらゆる人間が、ほとんど制約も無く情報を発信できるようになりました。

インターネット検索をかければ、すぐに知りたい情報を知る事ができるようになりましたし、どんなニッチな情報も見つけることが可能となりました。

しかし自由の代償として、現代社会は『複雑』になりました。

『単純さ』や『不変の常識』は日々失われつつあります。
あらゆる人々があらゆる議題に対して相反する意見を述べ、新しい情報もすぐに古い情報になってしまう。そして真に価値のある情報を探すのも、容易ではありません。

情報の価値を見極められる見識や才能ある人間にとって現代はまさに楽園でしょうが、情報強者ではない凡人にとっては、かならずしもそうでは無いと思います。

そういった人たち、あるいは自分自身のために、この世界の不変で基本的な部分を改めて勉強して、揺らがない基礎的な足場を獲得できるような記事――いわゆる『ライフハック』に近いものを量産していきたいと思っています。


そして最終的には、『読めばこの世界をほんの少しだけ理解できた気持ちになるブログ』を目指したいと思っています。

現時点でテーマとして取り上げようと考えているものは『死生観』『勉強』『才能』『お金』『仕事』などです。

最後に、本ブログの活動方針ですが、以下の3つを考えています。

1・少なくとも週に1度は更新する

2・ほとんどの人間の人生において共通で重要と思われることを主題にする

3・記事についての指摘は随時受け付けて、その意見の方が正しいと感じれば、記事を修正していく


では、今回は少し短いですが以上となります。