人生完全攻略ガイド

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人生完全攻略ガイド第3回 情熱を持つ? 探す?

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人生を攻略する上で、もっとも重要なものは何か。
そう考えた時、わたしは情熱が最も重要なものだと考えます。
こういうことを書くと、少し自己啓発的な内容になってしまいますが、人生を成功させる上で、情熱は他のすべてに勝るほど重要だと考えています。



情熱というのは、何に対するものであれ、自分の背中を押してくれる大切なエネルギー源となります。


逆に言えば、情熱なしに成功するのは難しいことだと思います。
情熱がなければ、人生に一貫性を持つことができなくなり、散漫とした、自分らしさの無い人生を進むことになるでしょう。


もちろん、情熱なしに何かをすることはできます。
ですが情熱を持って同じことに取り組むことができれば、何倍もの成果を出すでしょう。


そして情熱があれば、不可能だと思われていた高みにたどり着くことも可能かもしれません。




情熱の無い人へ、あるいは、情熱を注げる先を探している人へ

『情熱が人生に重要だということは理解できているが、情熱を注げるものが何一つ無い』
という人はたくさん居ると思います。
何か特定のものに夢中になろうとしても、本当に情熱を持っている人には決して勝てないと、諦めてしまっている人も多いでしょう。


そんな人達に送るアドバイスとして最高だと思うのは、以下の記事です。


「情熱を探そう」というアドバイスはもうやめよう



上記の記事は、情熱を持てる人にとって最高のアドバイスだと思います。
できれば一読していただきたいのですが、概要をかいつまんで説明すると

情熱を手にするには2つの種類があり、『情熱を探すこと』と『情熱を育むこと』だ。
というものです。
そして、その2つの情熱のタイプには最終的にあまり大きな差は無いから、情熱を育むという選択も良いものだよ。という記事です。


大抵の人にとって、情熱とは探すものという印象が強いでしょう。
何かに挑戦してみて、とても楽しい経験をする。あるいは、感動的な経験をする。
(これを原体験と言います)
そして原体験を理由にして強い情熱を持っている人がほとんどだと勘違いしているのでは無いでしょうか?

たとえば、絵を描くのが好きな人が居て、「どうしてこの人は絵を描くのが好きなんでしょうか?」と、聞かれたら、きっと『絵の才能があった』とか、『目指している画家が居る』などの予測をするでしょう。


これはつまり、情熱は最初からそこに存在していて、彼は偶然それを見つけんだ。という考えです。
情熱に対して運命的な出会いを果たし、彼はそれに従ったというわけです。


ですが、もしかするとその人は『情熱を育んだ』のかもしれません。
つまり原体験無しで、『絵を書き続けた結果、絵を描くのが好きになった』というパターンです。


これなら今まで何にも情熱を持てなかった人間だとしても、最終的には情熱を持てるようになるはずです。ですから、もしも今、何にも情熱を持てていない人が居るのなら、情熱を育むことを目指した方が良いと思います。


具体的に、情熱を育むには?~受験勉強に学ぶ~

確かに、情熱を育むということが可能なのであれば、理論上、あらゆる人が、あらゆることに対して情熱を持って取り組むことが可能なはずです。

が、現実はそうではありません。毎日同じ仕事をしている人が、その仕事に情熱を持っているかどうかは別問題です。何事に対してもやる気の感じられない人は存在します。

それはなぜでしょうか?

わたしが思うに、理由は2つです。
1つは『具体的目標がない』ということ。
そしてもう一つは『続けていない』ことだと思っています。

わたしがそう思った理由が、受験勉強にあります。


世の中の多くの人間が、大学受験に向けて勉強をします。
大学合格者の平均勉強時間は平日3時間、休日5時間ほどと言われています。
これは結構な努力量で、それなりに情熱がなければ取り組めないことだと思いますが、現在の大学進学率は58%。つまり、6割の人間が受験勉強に情熱を持っているということです。(努力なしで進学できるレベルの大学を選んでいる人も居るでしょうから、これは少し過大な数値かもしれませんが)
にもかかわらず勉強が好き、あるいは勉強をするということに対して天命を感じた。という人間はあまり多くないでしょう。


それはつまり、学校では勉強をするということに対して情熱を育んでいるのです


逆に、大学合格したあとに燃え尽き症候群のような状態に陥るのは、受験勉強という情熱を失ってしまったからではないか? と、考えています。


それならなぜ、受験勉強については多くの人が情熱を持って取り組めるのか?
それは『強制的に情熱を持たされているから』だと思っています。


どんな高校であれ、基本的には一年生の頃から進路を考えて行かなければなりません。
特に将来について展望の無い人間は、ここで具体的目標を持つことになります


どこの大学に行くのかを決めたなら、その目的に向かって勉強しなければいけないわけですが、学校に通っている限り、強制的に毎日勉強をさせられます


最初のうちはそれほど気乗りはしないかもしれませんが、大学合格のために必要なことですし、周囲の人間との競争もあります。結果的に、多くの人間が見事に乗せられて、勉強に励むことになります。

つまりは、あなたが情熱を持ちたいなら学校でそうさせられたように、
目標を持ち、根気強く続けることが大切だと思います。
ごく単純な話ですが、これはとても大切なことです。

もちろん、努力する分野によっては、努力しても追いつけなかったり、無駄だったりすることもあるでしょう。


けれど、だとしても努力するべきだと思います。
才能だと言っている人間の多くは、大抵努力不足です。
有名な1万時間の法則でも言われるように、やはり努力した時間が様々な不可能を可能へと変えてくれるものです。

ただ、ここまで努力ということ手放しに称賛すると、
『努力はその内容によっては裏切るし、単純に頑張るだけではいけない』
と、そう思うかもしれません。

ですが、その考えこそ最も危険な考えだと思います。

なぜなら、人は努力しているうちにこそ、努力の手法を改善できるようになるからです。


やらずに伸びるということはありえない話です。『馬鹿の考え、休むに似たり』と言いますが、どんな分野であれ、人は最初のうちは『馬鹿』です。努力してはじめて、その分野についての見識がついて、どうやって努力をすれば良いのかを見つけていくものです。

もしも情熱を持ちたいと願うなら、目標を持って、努力を続けましょう。

(ただ、努力の継続と目標設定というのは案外難しいので、いずれ別の記事でそのことについて書きたいと思います)





情熱は万能薬ではない

ここまで手放しで情熱について称賛してきましたが、デメリットが無いというわけではありません。
情熱があれば空を飛べるかと言うと、そんなことはありません。
100メートルを9秒台で走れるかといえば、おそらく無理でしょう。

しかし、情熱がある人間は無理だと分かっていても努力をやめないでしょう。



情熱とは、ある意味恋愛などと似ていて、人生における視野狭窄状態でもあります。


情熱によってなにかに固執してしまうことは、成功への近道にはなりますが、それは『時間というリソースを一点に集中させてしまうこと』です。


確かに、情熱とはその分野についての成功する可能性を著しく高めてくれるでしょうが、なにか一つに集中するということは、それ以外のことに対しておろそかになるということです。


柔軟な視点が失われ、そして情熱を理由にして不幸になる人も居るでしょう。
仕事のために家庭をおろそかにしたり、勉強のために周囲を顧みなかったり。


もちろん、それでも情熱によって獲得出来るものと比較すれば、それは些事だと思えるのなら、それでも良いかもしれませんが、何にも情熱を持たず、普通の生活を送ることも、決して間違っていないとも思います。


ただし(相反するようですが)私の持論としてはなにかに情熱を持ったほうが情熱の無い状態よりずっと幸せだと思います。
何か一つに情熱を捧げたという経験は、その後他のなにか別の分野でも活かすことが出来ます。
一つのことを頑張ったということはつまり、他のなにかでも同じように頑張れるという証明、あるいは自信になるからです。


だから、どんな分野でも構いません。
ほんの少しだけ気になっていること、やりたいことなどがあれば、情熱を持てるように徹底的に取り組んで見るのも悪くないでしょう。